「随所に主となれば、立つところみな真なり」

「随所に主となれば、立つところみな真なり」

「随所に主となる」というと、自分が自分がと出しゃばって出て行くことのように思えるが、まったく違う。「どのようなところにあっても主体的に考えることが大切」というのが真の意味だ。

自分の属する集団のために何が本当に必要なのか、何が本当に大事なのかを考えて問題解決のために一生懸命努力すれば、人は必ず好意を持ってくれるし、ついて来てくれる。リーダーに必要な資質、心構えをこれほど端的に示す言葉はないと思う。

随処作主。立処皆真。
(ずいしょに主となれば、立処みな真なり)


臨済禅師

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆   
  
【考えるヒント・今日の言霊】2002年12月26日(木) Vol.48
   作者:中土井鉄信
合資会社マネジメント・ブレイン・アソシエイツ代表)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

『今日の言霊』
随所に主となれば、
立つところ皆真なり。     
臨済禅師)
                      
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

『考えるヒント』
◇ 「随所に主となれば」とは、
どんなところでも主役になれという意味ではない。
どんなところでも自分らしさを見失わないとか、
いたるところで自分のアイデンティティーを
持てという意味である。
この「主」とは、主体性の意だ。

◇ この言霊は、いつでも自分を見失うことなく、
自分らしさを持って臨んでいれば、
自分のいる状況が必ず善くなるというのだ。
随所に主となることは、非常に難しいかもしれない。
しかし、今問われていることは、自分の中身である。
英語がしゃべれるということや
日本語がしゃべれるという前に
実は中身が問われている。
その自分の中身を作ることはすなわち、
随所で主となって、
様々な主とぶつかりながら、
コミュニケーションすることから始まる。
主体性のない行動や発言を主体性のある人間は、
まともに受け取らないから、
自分は何がやりたいのか、
自分はどう思っているのかをいつも意識しながら
ビジネスシーンではいよう。

◇ 私たちは、忙しさのあまり自分を見失って、
本来のよい点(自分や他人の)や
大切にしたい点(自分や他人の)を忘れてしまう。
そんな時、決まってトラブルがやってきたりする。
そしてふと我に帰るのだ。
何であんなこと言ってしまったんだろうとか、
何であんなつまらないことをやってしまったんだろうとか。

◇ 魔が差すという言い方があるが、
主体性がなくなるということかもしれない。
私たちは、今日の言霊を頭の片隅でも置いておこう。
忘年会シーズンは、もう終盤かもしれないが、
新年会などであまり羽目を外さないためにも。